学術的背景

 集落再編が日本農村の現状と将来に関する相反する2 つの考え方、すなわち「地方消滅論」と「田園回帰論」の双方において論点の中心にあることは、前者において「村たたみ」が、後者においては「村づくり」が鍵概念となっていることからも明らかです。集落再編については、農村計画学、農村社会学とともに農村地理学が長く取り組んできた研究蓄積、すなわち過疎論から周辺地域論へと続く研究群があるにもかかわらず、それらが社会的に充分に活かされてきたとは言いがたいのは、研究者の数や実証研究への傾斜といった斯学の事情だけでなく、長く積み重ねられてきた知見の確認と再評価についてやり残されていることが少なくないためです。農村計画と地理学が深く結びついているイギリスにおいて、30 年あまり前になされた問題提起をいま思い起こしてみます。P.Cloke は“the key settlement ・・・ has been much a part of the fog ofignorance“として、農村計画の主要な方法であった中心集落論を農村政策や農村の実態とを結びつけて再考しています(Key settlements in rural areas,1979)。深い学術的考察があってはじめて、理論と方法は信頼性を帯びて現実に適用されるはずです。

 構想するに至るもう一つの基本認識に、社会変化に応じて理論と方法は組み替えられるべきであり、不確実性を強める現代社会であるからこそ、議論は世界に開かれるべきであるという、研究の進行にかかわる2 つの考え方があります。集落再編の議論は長く積み重ねられたゆえに、その間に進んだ農村変化との接合が求められます。科学と技術の急展開は世紀末に大きく時代を回転させましたが、農村そのものも、農業と結びついた生産地域から、消費の対象へと社会的構築の次元において転換しつつあります。集落再編は、既存の概念資産である中心集落に加えて、持続可能性や多面的機能、逆都市化などの概念と結びつけて再考する必要がますます強まっています。また不確実性は現代社会の特徴であり、先進国の事例を学ぶことはなお重要ですが、それで済みとすることはできません。むしろ多様な自然・人文環境をもった世界の諸地域の経験を対照することで、多様性を研究に取り込むことが、将来を見通した体系化には必要であるのです。

 生活空間論を方法論的基礎にすえることは、集落再編を考えるためには特別なことではありません。他専門領域の集落再編研究において1970 年代までの地理学研究が参照されていることはその証左であります。地域論に基づく研究方法である生活空間論は、個人あるいは集団の空間性を重層的に捉えるものであり、空間と社会の相互関係の解明を課題としています。集落再編がともすれば供給側の論理からなされるのに対して、生活空間論的な接近は生活者に寄り添うものであって、それゆえに上述の農村変化、とくに生産から消費への転換を的確に捉えることが可能となります。また、生活空間論は多様な空間スケールの結びつきに着目する点で、関係論的な近年の研究展開とも通底する新しい発想を生み出しうる方法でもあり、本研究課題がその過程においてフィールド調査を重視することを支持するものでもあるのです。

 

 

研究期間における解明

 集落再編に関する知見を体系化して社会に還元しうる形にすることが、本研究課題に期待される主たる成果です。第一義的には、学術レベルで研究集会やシンポジウムにおける深い討議と、その結果を多数の論文と複数の書籍を多言語で公開することを通して実現されますが、さらにそれらの知見を社会に伝える工夫を重ねてゆきます。
 国際比較については、中国では公有制を基礎とした中心集落の建設、韓国では新自由主義的政策下の農村空間の再編、エチオピアではvillagization 以降の農村変化、ラオスでは農村開発と焼畑抑制のための集落移転事業、イギリスでは逆都市化の下での農村計画の展開などが取り上げられます。しかし、これらは他国の経験を紹介するにとどまるものではありません。フィールド調査を通して批判的に海外事例を検討することで、各地域の文脈を踏まえて日本農村を照射することとなります。
 国内研究については、日本農村の調査研究を進めてきた気鋭の農村地理学研究者が、日本の地域的多様性を考慮して選ばれた複数のフィールドにおいて、集落再編の過程と現状を実態的に解明します。その際、並行する調査研究の成果をこの科研をプラットフォームとして頻繁に交流・対照することで、比較考察が進み、居住の個別具体的な展開だけでなく、集落の規模や立地、社会経済的特性がその持続可能性にいかなる影響を与えるのかを定式化してゆきます。
 こうした個別研究をシーズンごとに開かれる多様な形式の研究集会により統合してゆきます。その際に連携研究者の経験豊かな農村地理学研究者に加えて、隣接分野である農村社会学、農村計画学の研究者が加わることで、常に批判的知的環境を持続し、そこから集落再編の研究と実践に適用可能な体系化された知見が生産されます。